2011年4月17日日曜日
明日は誰が担う
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いろいろあちこちから批判にさらされている菅首相だがよくやっていると思う。
なにしろ、人知では測れない自然の驚異でダメージをくらった原発、その原発をつくった自民党は野党である。
菅首相はその尻拭いをさせられているだけ。
「ガマン、ガマン」を心に刻んでやっていることと思う。
こんな状況で「ウルトラC」などあるわけはない。
こつこつと、これまでになかった事態に遭遇してどうしていいかわからない中、中傷にひたすら耐えて耐えて進むしかない。
これ幸いと、野党からは突き上げを食らう。
与党の中にも足を引っ張る大物がいる。
でもねえ、この時期、自民党が政権に返り咲くなんてことはありえない。
もしあったら、自民党はほんとうに「袋叩き」に会う。
なんたって、原発をつくった張本人は自民党なんだから。
菅首相はその自民党が残していった汚物を掃除させられているだけ。
この首相、実に「運がない」。
そして未来に渡って、自民党は原発と同じ運命をたどるしか道は残されていない。
グルリと周りを見渡して、これだという政治家はいるだろうか。
石原老人親子、親子バカの典型。
谷垣さん、コンピュータ社会における電卓レベル。
小沢さん、民主党のオデキ。
とすると、次の首相は枝野さんかな。
次の次くらいの人だが三段跳びで首相になってもいい人だ。
なにしろ若くていい。
これからの時代を背負うのは「若さ」だ。
もう、老人はいらない。
日本は向こう10年、苦難の道程を歩むしかない。
そんなとき、見難い「老人の権力闘争」に付き合わされるのはマッピラだ。
老人には未来はない。
というより老人の見る未来と、日本民族が見る未来とは根本的に異なるということ。
若い目でみた未来で、国民を引っ張っていって欲しいものだ。
そういえば、大阪に橋下さんがいたな。
もしかしたら、日本の未来は西日本に委ねられているかもしれない。
どうであってもいいが、「老人我欲はいらない」。
『
毎日.jp 2011/04/14
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110414k0000m070149000c.html
社説:菅首相への批判 ただ「辞めろ」は無責任だ
統一地方選前半戦での民主党敗北を受け、野党だけでなく民主党内からも菅直人首相の退陣を求める声が出てきた。
強い余震が続き、東京電力福島第1原発の危機的な状況がなお続く中での退陣論だ。
果たして政治がこんな状態でこの難局を乗り切れるだろうか。
不安と不信を募らす国民は多いはずだ。
まず、この非常時に退陣要求が出ること自体、菅首相の責任というべきだろう。
震災前から予想されていたとはいえ、統一地方選での敗北は多くの国民が原発事故や大震災の被災者支援などに関し、政権の対応に不満を持っている表れである。
ねじれ国会の下、首相がどう復旧・復興策を実現しようとしているのかも、なお明確ではない。
一時、自民党の谷垣禎一総裁に入閣を持ちかけたが、拒否されるとその後はなしのつぶてだ。
首相を支える民主党執行部も今度は与党の国民新党への気兼ねなのか、この時期およそ優先度は低いと思われる郵政改革法案を審議する特別委員会を12日設置した。
自民党が反発するのは当然だ。
既に指摘したように何より首相には
「最終責任は自分が取る」
という迫力が欠けている。
「非常時だから野党は協力するのが当たり前だ」
といった謙虚さに欠けた姿勢では、やはり与野党の協力体制はできない。
ただし、だからといって今、首相退陣を求める意見にも到底、賛同はできない。
谷垣氏は
「菅首相は国民の厳しい声にどう応えるか、自ら判断すべきだ」
という。
自発的に辞任せよというわけだ。
だが、菅首相が退陣し、どんな体制を作ればよいのか。
具体的な言及はない。
当面、衆院を解散して民意を問うことができないのは野党も承知のはずだ。
では、首相さえ交代すれば連立を組んでもよいと考えているのか、あるいは「私が首相になる」と谷垣氏は考えているのか。
このリーダーのもと、こんな体制にすれば原発対応も復興も進むという具体的な案もないまま、ただ「辞めろ」というのは無責任というものだ。
民主党内では小沢一郎元代表が13日、菅首相を強く批判する書面を出し、小沢元代表を支持するグループから退陣論が出ているが、こちらも
「首相交代した後、どうする」
が見えない。
仮に今、首相が交代すれば、国民のみならず、国際社会も
「いよいよ日本は政治の統治能力を失った」
と不安を募らすのではなかろうか。
内向きな政局発想から今も抜け出せないことに驚くほどだ。
被災地では多くの人々が余震におびえながら忍耐強く避難生活を続けている。
首相も与野党議員も「党利党略」「個利個略」を捨て、総力体制を築くべきだと再度指摘したい。
』
『
日経新聞 2011/4/12 7:00
http://www.nikkei.com/tech/ssbiz/article/g=96958A9C93819696E2EAE290E08DE2EAE2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E5E2E3E0E2E3E2E1EAE4E0
東電の悪夢、問われる原発の合理性 吹き飛んだ2兆7000億円弱
茨城県東海村の実験炉で日本最初の原子力発電が実施されたのは1963年10月。
以後、半世紀近くになる国内原発史上で最悪の事故を起こした東京電力が窮地に陥っている。
予想される巨額の損害賠償負担に対する懸念から株価が暴落。
社債市場では東電債のデフォルト(債務不履行)の可能性まで取りざたされている。
「優良企業」の代名詞だった電力最大手を襲った突然の信用瓦解。
福島第一原子力発電所の対応を含め、先行きは依然不透明だが、原発ビジネスの合理性を一気に失わせるほど事故のインパクトが大きかった。
国のエネルギー政策とともに電力会社の事業体制も見直しを迫られることは避けられそうもない。
東日本大震災発生前日の3月10日、東電の株価終値は2153円だった。
11日の地震発生が金曜日の大引け14分前だったため、動きが出たのは週明けの14日以降。
福島第一原発では1号機(12日)、3号機(14日)、2号機(15日)と次々に爆発し、4号機も15日に火災を起こした。
株価は16日に1000円を割り、30日に500円割れ、4月6日には一時300円を下回った。
11日の終値は500円。株式時価総額は震災前の3兆4599 億円から8035億円に急減。企業価値で2兆6564億円が吹き飛んだことになる。
株価急落の背景には、原発事故のエスカレートとともに「数兆円」といわれる賠償問題の浮上があり、そこに格付け会社による格下げが加わって東電の信用不安に拍車が掛かった。
同社の有利子負債は7兆6211億円(2010年9月末時点)、このうち社債の発行残高が約5兆円を占める。
震災後、社債流通市場では東電債の国債に対するスプレッド(上乗せ金利)が上昇。
残存10年物で震災前は0.1%だったものが先週半ばには2%強にまで急伸した。
その差わずか2ポイントとはいえ、5兆円の残高からみれば1ポイントあたり500億円が動く計算になる。
同社の財務の窮状は想像に難くない。
信用不安の広がりとともに、東電の「国有化」をめぐる発言が飛び交うようになった。
みんなの党の渡辺喜美代表が3月24日の記者会見で
「(東電の巨額賠償について)一時国有化も踏まえた検討を始めなければならない」
と指摘したのに続き、玄葉光一郎国家戦略相も29日の会見で国有化の可能性を問われて
「東電のあり方については様々な議論が当然ありうる」
と語り、肯定的な発言と受け止められた。
国有化の是非はともかく、事実上は、東電はもはや政府の後ろ盾なくしては信用を維持できないところに追い込まれている。
格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は4月1日に東電の長期格付けをAプラスからBBBプラスへと3段階引き下げた。
社債が「ジャンク債」扱いを受けないぎりぎりのレベルだが、実はS&Pは同じ発表の中で東電のスタンドアローン評価、つまり政府支援などを考慮しない「単独の信用力評価」を従来のaプラスからbbプラスという投機的水準にまで引き下げてもいる。
「日本政府からの特別支援を勘案しなければ、同社の主要な財務指標やフリー営業キャッシュフローは『BBB』格に見合う水準にとどまらない」
とS&Pはコメントしている。
少なくとも海外マーケットでは、東電はすでに実質「国有化」された状態とみなされているといえる。
震災前に東電は2011年3月期業績を連結売上高5兆3850億円、連結純利益1100億円と見込んでいた。
10年3月期時点の株主資本は2兆4657億円、株主資本比率は18.7%、営業キャッシュフローは9883億円と1兆円近くもあった。
内外の主要格付け会社が東電の長期債にそろってダブルA以上の高い評価を与えていた。
そんな「優良企業」をわずか数日で経営危機に追い込んだのが今回の原発事故である。
事業者としての同社の責任や国の責任などは今後司法の場に持ち込まれて裁かれる可能性も高いが、おそらく他の電力各社の経営者は東電の現状を横目に見ながら原発事業の見直しを真剣に考え始めているはずだ。
これまで原発は安全性に難点はあるものの、燃料コストが安く、経済合理性に優れているとされてきた。
だが、今回の事故とその後広範な周辺地域に及んだ数万人規模(半径20キロ圏内だけで約8万人)の住民避難、農産物、海産物への被害、そして「最大10兆~11兆円」(外資系証券会社の試算)ともいわれる補償額を考慮すると、「原発の経済合理性」は説得力を持たなくなる。
仮に原子力損害賠償法の下で政府が負担を肩代わりするとしても、その原資は税金であり、「社会のコスト」として果たして国民が受け入れるかどうか疑問符がつく。
なにより、電力会社の経営者が事業上のみならず心理的な“原発リスク”に耐えられなくなる可能性が高い。
東電の経営陣は事故発生後の1カ月間、暴落する株価を見ながら株主代表訴訟の悪夢が脳裏をかすめたに違いない。
事故のエスカレートによって、もはや資金的にも心理的にも民間企業の経営者が負えるリスクの限度をはるかに超えているように見える。
事故さえ起こさなければ、原発にはまだ合理性が……という議論があるかもしれない。
しかし、この10年間を見る限り、その合理性は大きく揺らいでいる。
原発1基あたりの建設費は4000億~5000億円で初期投資は火力発電所の1.5倍。
これを40年以上長期運転をすればコスト競争力は高いとされてきた。
ところが、原発建設には地元対策として巨額の支援事業(例えば、東電が福島県楢葉町・広野町に130億円を投じて建設したスポーツ施設「Jヴィレッジ」)など見えないコストがあるほか、加えて事故・トラブルが余りにも多すぎる。
東電に限ってみても、2002年に原発点検時のデータ改ざんが発覚、翌03年には同社の原発全17基が停止を余儀なくされ、その過程で当時の南直哉社長はじめ荒木浩会長、那須翔相談役、平岩外四相談役の歴代社長経験者4人がそろって辞任を余儀なくされている。
さらに07年の中越沖地震では柏崎刈羽原発1~7号機が全基停止。
火災などの被害を受け、08年3月期と09年3月期に合計2500億円の特別損失を計上した。
中越沖地震の後遺症は尾を引き、連結純損益も08年3月期は1501億円、09年3月期は845億円のともに赤字。
07年3月期に3兆335億円あった株主資本は09年3月期に2兆3786億円と6500億円も目減りした。
これほどやっかいな原発を電力会社の経営者は「国策事業」として背負い続けていくのか。
株主は大事故を起こせば株価が暴落するリスクに耐えられるのか。
そして危険を覚悟で事故処理に立ち向かう従業員を今後も確保できるのか――。
電力会社のステークホルダーだけでなく、
国民全体の電力事業への価値観
が見直されるべき時期に来ている。
』
== 東日本大震災 ==
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