2011年4月17日日曜日

日本の行き先は



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● 図録 世界の主要国の将来人口推計 より



 先に述べたように、現在原発の3割は止まっている。
 よって、
 日本の電力供給量は3月11日の「90%」ほどになっている。
 今後、原発が順次止まっていき、代替エネルギーの増加分を考慮すると、3月11日以前の80%くらいが、日本の電力量になる。
 大きな疑問、これでやっていけるのか?
である。
 
 そう、これでやっていけるのである。
 どうして?
 答えは簡単。
 人口が減少していくから
 まさに、少子化こそが日本にとって最高の切り札だということである。


図録 世界の主要国の将来人口推計
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1151.html

国連の人口推計の2008年改訂が2009年3月に発表された。

 2050年の世界人口の予測は91.5億人であり、前回予測(2006年改訂)の91.9億人から若干の減少となっている。

 長らく人口大国といえば、第1に中国、第2にインド、そして第3位は米国という順であった。
が、2050年には、インドが中国を抜いて第1位となると予測されている。
 かつて大インドを構成していたパキスタンとバングラデシュも人口をかなり増加させ、パキスタンはブラジル、インドネシアを抜いて世界第4位に躍進すると予測されているので、南アジアは世界最大の人口集積地となる。

 日本の人口規模上の地位は、1950年には世界第5位、2009年には世界第10位であったが、
 2050年には世界第17位と大きく地位を低下させると予想されている。

 米国は、イラン、トルコ、ベトナム、インドネシアとともに世界平均よりは低いが、それと余り変わらない増加率が想定されている。
 先進国としては突出した人口増加率が目立っている。

 世界の中のGDPシェアが大きく拡大した東アジアの日本、中国、韓国については、人口的には中国も5.3%と余り伸びず、日本や韓国は少子高齢化の影響で人口は減少すると推計されている。

 ドイツ、イタリア、そして旧ソ連のロシア、ウクライナなども人口減少が予想されている。


 この推計によると、日本は2050年には「1憶2百万人」になる。
 減少率は「マイナス 20.1%」とある。
 先の厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所の人口推計では、合計特殊出生率の見方で高・中・低という三つの仮定に基づく推計をしているおり、
 中位の推計では
日本の人口は2030年に1億1522万人になり、
 2050年に1億人を切って「 9,515万人」になるとしている。
 これによると、早い時は、2040年に、動きが遅くとも2050年には間違いなく1憶人を切っているとしている。
 40年後を推計しているので、それぞれの調査機関でばらつきがあるのはしかたがないが、人口減少はまちがいなく起こってくる。
 上の推計で興味を引くのは
 ドイツ、イタリアが人口減

 フランス、イギリス、アメリカは人口増
なのである。
 つまり、原発廃止が打ち出せるというのは「人口減少」が背後にあるからである。
 もし、人口増加が見込まれるとすると、エネルギー不足に見舞われ、とても原発からは手をひくことはできない。


ECO JAPAN 2011年4月14日
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20110413/106354/

伊藤洋一の「BRICs」の衝撃

“FUKUSHIMA”がBRICsに与えたインパクト(2)

 中国やインドなど途上国を旅していて強烈に感じるのは、「豊かさへの渇望」である。
 それは“先進国”と言われるアメリカ、日本、欧州の連中の生活水準に速く追いつきたい、富を手に入れたいという人々や政府の強い欲求だ。
 自分達が遅れてしまったことへの焦りがある。
 途上国が先進国になるためには、いくつかの条件が満たされねばならないが、「潤沢な電力供給」はその一つの大きな前提条件だ。

「豊かさ」を象徴する「電力」

 「豊かさ」と「電力」の関係が極めて密接なことは、「計画停電」の適用を受けた関東地方の人間はいやというほど思い知った。
 電力がなければ、エレベーターは動かず、冷蔵庫は暖まり、暖房できず、本も読めず、テレビも見られなかった。
 これまで日本が享受してきた「豊かさ」のかなりの部分は、「電力」がなければ失われてしまうのだ。

 2000年代の半ばにインドに1週間ほど滞在したときにニューデリーでもバンガロールでも何回も停電にあい、「ああ、ここは途上国なのだ」と実感した。
 泊まっていたのは有名ホテルが多かったので停電しても少し我慢しているとホテルの自家発電で電気が回復する。
 しかし「停電」などというものには子供の頃以来出会ったことがない日本人の身には、その短い間の真っ暗闇がその国の遅れを端的に示しているように思えた。
 電気は、現代人には欠かせない動力だ。

 中国もここ数年ずっと電力不足に悩まされてきた。
 工場やビルがどんどん建つ。
 これらは皆膨大な電力を食う。
 特に夏場が深刻で、去年は沿岸地方の暑さで電力需要が大幅に上がって火力発電所の稼働が一杯一杯になった。
 炭田地帯の内モンゴルからトラックで運搬される石炭の量が急増したが、その結果内モンゴルから北京につながる高速道路では長距離・長期間の大渋滞が発生した。
 この間の事情は、私が以前書いた文章 に詳しい。

 1970年代の後半にニューヨークにいたときには大停電があったが、その時「この国は途上国か?」と思った。
 そのくらい「途上国」のイメージと「停電、電力不足」は密接に関係している。
 だから前回紹介したように、インドも中国も「原子力発電」に大きく舵を切ったところだった。
 両国とも、
 「その他の電源では急増する国内電力需要を満たせない」
と判断したからだ。

 そこに起きたのが、東京電力第一福島原子力発電所の事故だ。
 そしてその事故の国際的な事故評価尺度(INES)は4月12日に、
 「これまでに放出された放射性物質が大量かつ広範にわたる」
ということから、
 「深刻な事故」
とされるレベル7に引き上げられた。
 原子炉関係で史上最悪と言われる1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故に匹敵する。
 79年の米スリーマイル原発事故は、レベル5だ。

■まずはとりあえずブレーキ

 “FUKUSHIMA”が途上国を含めて世界全体に与えたインパクトして一番大きいのは、
 「原発にはリスクがある」
ということの再認識である。
 これは世界に対して共通している。
 インド、中国など大人口を抱える途上国は、直近の原発事故として世界に知られるチェルノブイリ事故が25年前で、自分達が成長のプロセスに入る前のことだっただけに、
 「原発は比較的安全になった」
 「原発事故は過去のもの」
という意識があった。
 それを折に触れて国民にも喧伝し、原発増設にかなり積極的だっただけに、受けたショックは大きかった。
 地震や津波を研究し、間違いなく科学技術が進んだ日本で起きたこともショックを大きくした。

 インドでは論争が起きている。
 タタ社会科学研究所科学・技術・社会センターのジャヤラマン・センター長は
 「フクシマ後の原子力」
と題する文章を3月20 日付の新聞「ヒンドゥー」に寄稿し、原発と地震対策の分野で世界トップクラスの技術を持つ日本で今回の事故が起きたことについて、
 「原子力の問題全体に対し疑問符を投げかけたのは疑いない」
と指摘した。
 これは、政府が進める原発推進への民間からの警告となった。

 インドでは、「原発計画は10年遅れる」との見方も出る中で、
 「では今後増える電力需要を何でまかなうというのだ」
 「やはりインドは原発での発電増に頼らなければならないのではないか」
という意見も当然出てきている。
 日本でもそうだが、原発を巡っては各国で賛成・反対などいろいろな意見がある。

 一方、中国では、温家宝首相が東日本大震災の直後に国務委員常務委員会を招集し、その場で原発の新設に関する審査を厳しくし、核安全計画を凍結することを決めた。
 「まずはとりあえずブレーキ」
というのが共通している。

 「ブレーキ」の中には、第一に「審査の厳格化」が入る。
 原発の立地から始まって設計や管理などにより厳しい監視の目を光らそうというわけだ。
 次が「既存の組織から独立した機関」の設立だ。
 特にインドはこれに積極的だ。
 「新しい機関による徹底的な安全性の再点検」(ジャヤラマン・センター長)
を行うとの方向が定まりつつある。
 日本の原子力安全・保安院を独立組織とする必要性が語られている日本と同じ発想に立つ。
 とにかく
 「より多くの安全装置を」
 「より安全を担保できる体制を」
ということだ。
 これは世界各国で似たような動きがある。

 共産党の一党独裁の中国では、この辺はちょっと違う。
 あくまで「国家は万能」という考え方だ。
 しかし中国にはほかの国にはない別の懸念がある。
 今の中国で大規模な原発事故が起きたら、それが
 「体制変換のきっかけになる」
かもしれないのだ。
 日本の事故に対する中国の国民の反応の鋭さは、「塩の買い占め」などでも分かる通りかなり激しかった。
 本当に事故が起きたら、それが政府に向けられる可能性は十分ある。
 中国政府にはインドや先進国にはない別の悩みがある、というわけだ。

原発なしでは「豊かさへの渇望」を満たせない

 全体的に見て、“FUKUSHIMAでの事故”によってインドでも中国でも
 「原発に対する国民や政府の警戒感」
は明らかに強まった。
 それは間違いない。
 増設計画の遅延、より多くの監視機関の設置などが今後続こう。
 それが「“FUKUSHIMA”がBRICsの原発計画」に与えたインパクトと言える。

 しかし結論を言うなら、こうした遅れは監視の強化とは別に、
 インドや中国は「原発増設計画」そのものを放棄することはないだろう、
と思う。
 フランスのサルコジ大統領は、各国の首脳の中で真っ先に日本に来て、
 「今原発を止めたら、何が失われるかは明らかだ」
と述べた。
 53基の原発での発電で国内電力需要の 75%以上を満たしている国のトップの認識だ。

 しかしBRICsは「失う」どころか、「豊かさへの渇望」を原発なしでは満たせないと考えている。
 送電システムや電気使用の効率性も先進国に比べて低い。
 そうした中で国内の急増する電力需要を満たすには、
 「電気を大量増産しなければ」
ならず、そのためには
 「原発しかない」
と考えている様子が両国の政府首脳の発言からは見え隠れしているのだ。



ECO JAPAN 2011年4月1日
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20110330/106248/?P=1

伊藤洋一の「BRICs」の衝撃

“FUKUSHIMA”がBRICsに与えたインパクト(1)

 これまで連載していた「ECOマネジメント」で、中東の情勢に関する分析を私としては一応終えたと思っていただけに、1月に中断したベトナムの置かれた状況というテーマに話を戻したい気持ちもあった。
 しかし、「BRICsの衝撃」というこの連載のタイトルからして、今、世界を震撼させている東京電力福島第1原子力発電所1~4号機の深刻な状態が、中国やインドなどBRICs諸国の原発計画に与えた影響を取り上げないわけにはいかないだろう、と考えた。
 なんと言っても、今がこの問題を考えるうえで最もタイムリーだ。

 今回の事故が、「原子力発電」の方向に大きく舵を切ったばかりのBRICs諸国に与えた影響はむろん大きい。
 「計画の遅れ」「計画の一時棚上げ」といった趣旨の発言もマスコミには数多く取り上げられている。
 しかし一方で、だからといって彼らが今の意欲的な原発計画を止めることはないかもしれない、という気もする。

 それは、一方で化石燃料価格の上昇という世界的な問題があり、そしてもう一方ではこれら諸国の今後の電力需要が実に膨大で、それを満たす手段としては原発以外には現在のところ、これといった手段がないからだ。
 こうした視点を持ちながら、中国とインドなどが今後、原発にどう取り組むかを考えたい。

■FUKUSHIMAが「一時停止」した原子力ルネサンス

 今回の福島第1原発の事故は、2000年代に入ってから米国中心に徐々に出来上がり、その後世界に広まった「原子力ルネサンス」の流れを少なくとも「一時停止」させるきっかけを作った。
 欧州、特にドイツでは原発反対派が勢いを増し、既に地方選挙の結果にはそれが表れている。
 一時、原発容認に動いていたメルケル政権も、急遽方向転換した。
 米国でも過去に事故のあったスリーマイル島の近くで、ちょうど事故から30年(事故は1979年の3月末に起きた)を経たということもあって原発反対のデモが起きている。

 「反原発」のムードは、FUKUSHIMAの惨状が世界中のメディアで報じられるなかで、近年になく高まったと言える。
 こうしたなかで中国やインドは、今後見込まれる膨大な電力需要を満たす手段として、ともに大規模な原発計画を持つ。
 今は計画遂行にやや逡巡という雰囲気だが、今後、実際にはどうするのか。
 この2つの国の動向が世界全体の原発建設の今後に大きな影響を与えることは間違いない。

 原発建設の可否から安全基準までの多くの段階で「再考」を求められるに至った「原子力ルネサンス」の動きは、もともとは米国で始まったものだ。
 筆者は 2007年11月末から12月の初めに掛けて、実際に原子力発電所が稼働している主に米国南部のノースカロライナ州を取材した。

 スリーマイル島の原発事故以来、原発建設計画を凍結してきた米国での変化(原発評価への動き)を取材するためで、そのときのキーワードが「The Nuclear Renaissance」(原子力ルネサンス)だった。
 当時、原油価格が天井知らずの上昇を続けるなかで、
 「大気を汚染しないクリーンなエネルギーとしての原子力」
に対する関心が再び高まっている状況を見ようと思ったからだ。
 ブッシュ政権下での動きだった。

 稼働している原発や原子力工学を教えている大学、それに市民の原発反対運動など幅広く取材した。
 一連の取材で、“原子力ルネサンス”とは具体的には、
(1).政府の原発建設停止の見直し、新規計画の承認の動き
(2).それまで閑古鳥が鳴いていた原子力関連の大学講座の増加、そこに通う生徒の増加
(3).そうした生徒に対する強い企業からの需要
――などとして現象化していることを知った。

 訪れた大学の原子力関連学部は、「久しぶりの活気」(大学関係者の弁)にわいていた。
 生徒も明るい顔をして学んでいたのを思い出す。
 むろん、「生活水準を落としても原発には反対」という反原発の活動家の声も聞いたが、当然多数の声にはなっていなかった。
 実際的な需要の増加の中で、「原発評価の声」は日本を含む先進各国に広まったと言える。

果たして途上国は原発を手放すか

 こうした先進国の動きの中で、今後、国内の電力需要が急増することが見込まれる中国やインドなど大人口を抱える途上国が、エネルギー確保の一環として原発に注目したのは当然の動きと言えよう。
 両国の田舎にまで実際に行った筆者としては、いかに両国が電気を欲しているかは手に取るように分かる。
 依然として電気も十分に通っていない村々、地区が、中国やインドにはいっぱいあるのだ。
 そうしたところまで電化しようと思ったら、中国もインドも膨大な電力需要を満たさねばならない。
 加えて、電力を大量に消費する都市は膨張している。
 しかし、石炭を使う発電(特に中国が当てはまる)は環境悪化を深刻化させているし、石油価格は高くなってきている。
 自然と目は原子力発電に向いた。

 まず中国だが、現在同国では13基の原発が稼働しているのに対して、それよりも多い25基余りを建設(予定も含めて)している最中だ。
 今建設中のものを含めて2020年までに約60基を増設する方針だった。
 その先も増設を続け、2030年までには104基と、世界最大の原発による発電量を抱える米国を上回る数を整備したい考えを持っていた。
 非常に野心的、かつ大規模な増設計画だと言える。

 次にインドだが、同国の原子力発電公社が現在20基の原発を稼働させているが、日本の事故前までは、今後も電力の原発依存を高める方針で、2030年までに原発に1750億ドル(約14兆3850億円)を支出する予定だった。
 これも大幅な増設計画と言える。

■国民感情に配慮した中国とインド

 福島第一原発の事故を受けた2つの国の立場は微妙に違うし、それぞれの国のなかでも当事者の今後に対する発言はニュアンスが異なる。
 例えば中国だが、日本での事故後も
 「原発を発展させる決意と計画は変わらない」(環境保護省次官)、
 「中国の原発は福島より新しい」(電力会社首脳)
などと計画の継続を強調する声がある。
 しかし、政府の公式の立場は、
 「中国政府は新たな原発の建設計画の審査と承認を一時的に停止する。
 16日に開いた温家宝首相が主宰する国務院常務会議で決めた」(3月18日朝日新聞朝刊)
となっており、政府は今のところ原発に不安を高める国民の気持ちに配慮して、「一時停止」の措置をとっている。

 一方のインドは、ラメシュ環境相が東日本大震災により福島第一原発が深刻な事態になっていることを受けて、インドの原発に対し追加の安全策を義務づける可能性について言及。
 さらに政府計画委員会のパリク元委員はインド紙「エコノミック・タイムズ」に対し
 「原発に適した立地を見つけるのは簡単ではないうえ、より安全性の高い設計や技術が必要になる。
 試験期間なども含めると原発整備計画はほぼ10年遅れるだろう」
との見方を示したという。

 中国、インドという世界でも最も野心的な原発増設計画を持つ2つの国で、FUKUSHIMA での原発事故を受けて
 「原子力発電に対する慎重な意見」
が出てきたことは注目される。
 ともに、「国民感情に配慮したもの」と言える。
 民主主義国家であるインドが国民の意見に配慮するのは当然だが、実は中国は「統治の正当性」が選挙で担保されていない分だけ、今の政権は国民の意見(世論)に気を使う傾向がある。
 例えば今の中国で原発事故でも起これば、それは直ちに政権を危うくするだろう。
 貧富の格差拡大、汚職などの腐敗に加えての人命にかかわりかねない事故となるからだ。

 FUKUSHIMAはこの原稿を書いている時点で「現在進行形」の事態だ。
 結末は見えていない。
 そうしたなかでは両国の担当者とも、「原発推進」に向けた発言を控えざるを得ないという事情がある。
 しかし、こうした姿勢は事故が収束した後には変わるかもしれない。
 それは何よりも「原発に代わる即効性のある電力源」が見いだせないという事情があるからだが、その点については次稿で触れたい。


 この記事でわかるように、
 中国、インドは否が応にも原発建設を推し進め
ないとどうにもならない状態にある。
 中国は現在「13憶5千万人」。
 しかし、中国は「一人っ子政策」などで人口増加を強制的に抑えているので、ほぼ頭打ち状態に近づいている。
 よって、2050年の推計人口はわずかに「7千万人」増えただけの「14憶2千万人」となっている。
 インドは現在「12億人」で世界2位。
 そして近い将来には中国を追いぬいて世界第一の人口国家になる。
 2050年の人口は「16億人」と推計されている。


レコードチャイナ 2011-04-03 18:24:02 配信
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50367

人口12億1000万人に、2030年には中国を抜いて世界最大か―インド

 2011年3月31日、インド政府は同国の人口が12億1000万人になったと発表した。
 4月1日付で中国経済網が伝えた。

 今回の国勢調査は1872年以降で15回目。
 調査員270万人を動員し、約3億戸の家庭を対象に、1年の期間を費やして行われた。
 今回は各家庭の居住状況、教育状況なども初めて調査した。
 それによると、インドの人口は約12億1000万人に上り、2000年の前回調査から1億8100万人増加した。
 インド政府は、正式な人口データと分析については来年発表すると表明している。



レコードチャイナ 2011-04-17 21:03:41 配信
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50691&type=1

中国の人口、30年以内にピーク迎える―国家人口計画生育委員会

 2011年4月14日、中国国家人口計画生育委員会の王培安(ワン・ペイアン)副議長はニューヨークの国連本部で、今後20年から30年以内に中国の総人口、労働人口、高齢者人口がそれぞれピークを迎えるとの見通しを示した。
 中国新聞網が伝えた。

王副議長によると、出生率の低下と生殖健康分野で目覚しい成果をあげた中国だが、急激な人口高齢化や人口の流動化、家族構成の大きな変化、資源や環境の厳しい制約などの問題に直面しており、出生異常発生率もまだ高く、人口構造問題もますます顕著になっているという。

 「中国の人口圧力は依然として巨大だ」
と指摘する同副議長。
 中国は70年代から実施している計画出産政策によって、合計特殊出生率は70年の 5.8から現在の1.8まで下降したという。
 中国の人口が世界の総人口に占める割合も22%から19%に減少したと同副議長は述べた。

 中国国家人口計画生育委員会は同日、国連本部で中国が開発した世界人口予測ソフト「PADIS-INT」を発表した。


 さて、両国はこの人口を「富んだ民」にせねばならないという使命を背負っている。
 さりとて化石燃料に頼ることは今後できない。
 とすれば、残る選択肢は原子力しかない
 多くの障害があろうが、この両国はまず積極的に原発建設の推進を押し進めていくだろう。

 原発とは深く、人口問題に関わっている
 このことをよく理解しておいたほうがいい。
 人口が増えればエネルギーが必然的に必要になる。
 それを満たせるのは原子力だけである。
 原発とは人口増加の副産物なのだ。
 日本はそれをうまくクリアーしそうである。
 
 将来の絶対命題はたった一つしかない。
 「人口減少を促進すること
である。
 間違っても「人口増加政策」をとってはならない。
 考えてみればわかる。
 もし、現在の人口が半分になったら、いかに豊かになりうるかを。

 さて、人口というのは生態学的なものがあり、減りすぎると種族保存という、次のメカニズムが動き出す。
 つまり、人口減少は増加に転じるのである。
 永久に減少し続けるということはない。
 ちょうど、永久に日本の人口増加が続かなかったように。
 では、どこまで減り続けるか。
 それは
 日本列島にとっての「適正人口」とはいくらか、という問題

である。
 いろいろの説があるが、8千万人から9千万人の間という説が大半を占める。
 厚生労働省あたりは、国力の低下を防ぐためにはこの上限の9千万人でとどめたいという。
 そこにソフトランデイングさせたいというのが当局の思惑で、それに向けて施策をねっている。
 この、減少の止まった人口を「静止人口」という。
 理想としては厚生労働相のいうように9千万人だが、おそらく
 「8千5百万人」くらいで静止
というところではないだろうか。
 ちなみに、8,500万人を突破したのは1951年(戦後6年目)のこと。
 9,000万人となったのは1955年(戦後10年目)のことである。
 といっても、これはあくまで未来の予測なので、正確に言い当てるなどということはできない。
 ただ心づもりとして、
 9千万を目安として、人口は減り続けること
 そしてそれに見合う形として、新しい日本をイメージ
できればこれからの日本の進みゆく向こうがおぼろげにでも見えてくるのではないだろうか。

 そういうイメージをもって進むのと、まるでなしで進むのとでは心理的に大きな差異がある。
 「未来にこういう日本が来る
という希望をもって歩んだほうが、なにもなしで行くよりも遙かに有意義だと思う。
 人口減少に見合うやりくりをしていくこと
 これが、日本の今後の動き
 増やすなんてことは考えてはならない
 そして、静止人口に落ち着いたとき、そのそのヤリクリの集大成が新しい豊かさをもたらす。
 軍事大国、経済大国を経て、次の第三の大国をめざしていくのが日本の道。

 まとめるとこうなる。
①.日本列島に見合う生態的適正人口まで人口は減少し続ける。
  そして静止する。
②.供給電力も減少し、今の量の80%ほどになる。
  よってLED照明にみられるような少エネ(あるいは低エネ)化が進んでいる。
 それが、「新しい日本の形」である。
 その核になるものは何であるかは、ワカラナイ。
 なにしろ数十年後の話である。
 でも、とりあえずは、その方向に歩んでいってもいいはずである。
 「経済発展への道を歩む」
というような、単純な間違いを犯してはならない
 その間違いを犯さない限り電力は充分である

 経済発展とは日本にとって、3月11日以降は
 「過去の遺物
になっているのである。





[◆ 後日]


ロイター 2011年 04月 22日 12:03 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-20764220110422

米最大のパロベルデ原発、原子力規制委が運転期間20年延長を認可

[ワシントン 21日 ロイター] 
 米原子力規制委員会(NRC)は21日、国内最大の原子力発電施設であるアリゾナ州パロベルデ原発の運転免許を更新し、運転期間を20年間延長することを認めたと明らかにした。
 NRCは、同原発の原子炉3基について、免許更新を妨げるような安全面および環境面での懸念はないとの見方を示した。

 米国の多くの反原発団体は、東日本大震災に伴い福島第一原発で起きた事故の全面調査が完了するまで、原発の免許更新を一時停止するようNRCに求めていた。

 パロベルデ原発は、州都フェニックスの西80キロメートルに位置し、ピナクル・ウェスト傘下のアリゾナ・パブリック・サービス(APS)が運転している。
 40年間の運転免許を取得し、1986─88年にかけて運転を開始。APSは2008年12月に免許更新を申請していた。
 免許更新により、同原発の1号機は2045年、2号機は2046年、3号機は2047年までの運転が可能になった。 

 NRCは米国で稼働中の原子炉104基のうち、
 66基についてはすでに免許を更新
 さらに16基の更新申請を検討している。
 NRCが更新申請を却下したことはない。






== 東日本大震災 == 



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