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● 日本をとりまく地震
東京壊滅、いやな言葉だが。
直下型地震が懸念されている。
『
ロイター 2011年 04月 12日 21:34 JST
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-20575320110412
焦点:地震大国日本、首都直下型の防災計画を見直す必要
[10日 ロイター]
東京をマグニチュード(M)7.3の地震が襲った場合、
死者数は1万人を超え、数十万人が負傷し、倒壊建物数は100万戸、避難民は数百万人に上る。
そんなシナリオが向こう
「30年以内に現実となる確率について、専門家は70%と予測」
する。
東京都は過去数十年にわたり、そうした規模の地震を想定した防災対策を検討してきた。
また日本の建築物の耐震基準は、世界的に見ても厳しいことで知られる。
しかし、M9.0の地震が発生し、想定を超える大津波が壊滅的な被害をもたらした東日本大震災から1カ月がたった今、一部では、従来の想定を見直すべきとの声が上がっている。
3月11日に太平洋側の東北地方を巨大地震が襲ったとき、震源地から約300キロ離れた東京でも、大規模地震が発生したらどうなるかをわずかに垣間見ることはできた。
電車が止まって多くの帰宅困難者が発生し、電話はつながらない状況となり、電力不足、パンや牛乳などの買い占めが起きた。
しかし、東京は防災計画を見直す必要があるという点で専門家は一致している。
それには、福島第一原子力発電所より都心に近い原発への対応方法も含まれる。
東京大学生産技術研究所の都市基盤安全工学国際研究センター(ICUS)の加藤孝明准教授は
「さらに大きい地震が東京を襲った場合、われわれは大惨事に直面するだろう」
と指摘。
M8クラスの地震が起きても被害を最小限に抑えられるよう、政策を見直すべきだとの考えを示した。
首都圏には3500万人が生活し、日本経済の約3分の1が集中しているため、M7.3の地震でも被害は甚大なものとなる。
内閣府はM7クラスの東京直下型地震が起きた場合の被害について、最大で死者数は約1万1000人、負傷者数は約21万人、避難者は約700万人となり、被害額は100兆円超と想定している。
首都直下型の地震が起きた場合、復興コストは日本経済の大きな足かせとなる。
JPモルガン証券のイェスパー・コール株式調査部長は
「日本には(東日本大震災)の復興をまかなうのに十分な貯蓄余剰がある」
とした上で、東京で巨大地震が発生した場合には、復興費用は海外からの資金に依存せざるを得なくなると述べた。..
中部電力 浜岡原発など、福島原発より首都圏に近い原発で事故が発生した場合にどう対応するかも大きな問題だ。
加藤准教授は
「全域が放射性物質で汚染されたケースへの計画はない。
人々は逃げたがるだろうが、一斉には無理だ。
もしそうなったときは、戦時中そうだったように、子どもたちを避難させなくてはならないだろう」
と述べた。
首都圏での大規模災害への懸念は、菅政権内で影の政府構想を検討する契機にもなっている。
内閣官房参与を務める法政大学の五十嵐敬喜教授は、ロイターに対し
「政府機能の分散もしくは西日本でのバックアップ体制構築を考える必要がある」
と語った。
ただ、ばく大なコストを考えると、それは現実的ではないとの声もある。
東京を拠点とする企業の間には、東日本大震災を受けて事業継続計画(BCP)を見直す動きもあるが、経済活動の大きな分散は難しいだろう。
国際大都市地震防災機構(EMI)のフォアド・ベンドミラッド会長は
「東京などの都市を成長させる原動力は何か、なぜ企業がリスクをとるかを理解しなくてはならない。そこには意思決定プロセスがあるからだ」
と指摘。
「結局のところ、リスクを背負うのはビジネスの一部ということだろう。
日本には地震の心配がない場所などないのだ」
と語っている。
(執筆:Linda Sieg記者、翻訳:宮井伸明、編集:伊藤典子)
』
30年以内にマグニチュード7.3の地震が東京を襲う確率=70%
日本には地震の心配をしないですむ場所などない。
不愉快ではあるが名言。
とりあえず、生き抜くための対策としては、
①.電力量を見ながら設計寿命のきた原発は停止して原発事故を防ぐ
②.豊かさドブ漬けの日常からの脱出
③.小電気法を制定(発熱量の高い電気製品は許可しない)
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いろいろあるだろうが、これまであまりに豊か過ぎていた生活をちょっと、気を使って変えてみればいい。
それだけでも結構、見通しが出てくるものだ。
今日明日の生活に事欠くというようなレベルではない。
日本はもともと豊かな国である。
3月11日前と同じ豊かさを求めるような復興
でなければ十二分に対応可能なもの。
3月11日前があまりにも豊かであったと、いうことを認識できないといけない。
そうでないと過去の夢を追いかけて不満に苛まれてしまう。
「身の丈に合った豊かさ」
とは何か、それを見極めること。
その機会がやってきた、と捉えればことはさほどに難しくはない。
GDPが豊かに「安定した20年」を「失われた20年」と見てしまうかで、世界はガラリと変わる。
いくら対策を講じたとしても自然災害は来るときはくる。
対策を講じておけば、いくらかの被害は免れる。
が、人力の想定を超えた自然力には、立ち向かえない。
泣いてもわめいても、自然災害はやってくる。
大声で政府を非難すれば、自然災害が歩みを止めるなどといったことは考えないほうがいい。
ただ、恐怖を紛らわすにはいいだろうが。
残された手段は、それをどう受け止めるかである。
[◆ いらぬかもしれない話]
では、ここで言われている「30年後」とはどんな社会か見てみよう。
「goo Reserch」を見てみる。
『
goo Reserch
http://research.goo.ne.jp/database/data/000578/
人口減少期を迎えた日本
日本の人口問題を語るとき、「2005年」は一つのターニングポイントとして長く人々に記憶されるだろう。
この年、厚生労働省が人口動態統計をとり始めてから、初めて日本は人口の自然減を体験したからだ(1941年から1943年までは統計がない)。
統計によると、出生数と死亡数の差である自然増加数は2004年がプラス8万2119人であったのに対し、2005年はマイナス2万1266人であった。
国勢調査でも、2005年10月1日現在の総人口は1億2776万8000人で、前年を約2万20000人下回っており、日本が人口減少時代に突入したことを裏付けている。
少子化の影響で日本がいずれ人口減少に転じることは、以前から予想されていた。
しかし、当初は2006年が“減少元年”になるとみられていた。現実はその予測を追い越し、1年前倒しにしてしまったのである(図1)。
』
2010年の国勢調査では「1憶2800万人」となっているが、これは日本の人口ではない。
国勢調査が行われた時点で、日本国内に居住している人である。
よって、在住外国人も含まれている。
同様に海外勤務の会社員、あるいは留学している学生などはカウントされていない。
簡単にいうと、日本列島に乗っかっている人間の数、といっていい。
正確な「日本の人口」を表わしてはいないことに注意しないといけない。
基礎になる日本人口を
「住民票を持つ日本戸籍をもつ人口」
ということで調べてみたが、ちょっとデータが探せないでいる。
ちなみに、日本戸籍を持つ人というのはあてにならない。
先年の事件にあったように、法務省の調べでは、住所記載ない100歳以上の戸籍が全国23万人もいるという。
2005年人口のピークにあたり、その数は「1憶2700万人」あたりとみてとれる。
ちなみに人口が
1憶人を突破したのは1967年で、明治維新百年目
になる(大政奉還が1867年に行われて、明治改元は翌1868年になる)。
1967年から2005年の「38年間で2700万人増加」したわけである。
こんな急激な人口増加は過去に例がない。
1年に「71万人」ずつ増加していったことになる。
これどのくらいかというと、都市人口数17位にランクする静岡市が2005年で「70万3千人」である。
つまり毎年、静岡市が一個づつ生まれてきた勘定になる。
以前に書いたが、あまりに日本列島に人口が乗りすぎ、その反動でシーソーの反対側に位置する海側の地面がもちゃがり、そこに乗っていた水がバチャンと下がった側の日本列島に浴びせられたのが今回の津波であり、ヒトコマ漫画ならそう描かれるということである。
生態系的にも異常状態であり、それは生物としての人間本能が危険状態を敏感に感じているといっていい。
そこで当然なこととして発動されたのが「生物の個体数調整」である。
つまり、人口減少としての少子化である。
これは生態的流れであって、人間がどう対策を立てようと押しとどめることはできないと見ていい。
では日本はどうなっていくのか。
『
ではこれから日本の人口はどうなっていくのか。
国立社会保障・人口問題研究所は2006年12月、新たな人口推計を発表した。
合計特殊出生率の見方で高・中・低という三つの仮定に基づく推計をしているが、中位の推計では日本の人口は
2030年に1億1522万人になり、
2050年に1億人を切って 9515万人に
なるとしている。
今後44年間で3260万人減るということで、1年平均にすると約74万人になる。
これは静岡市の人口よりやや多い数になる。
人口が減っていくと聞いてもあまりピンとこないかもしれないが、これから先は、静岡市規模の都市が毎年一つずつ減っていくようなものと聞けば、事の重大さを実感できるのではないだろうか(図2)。
』
つまりピークを過ぎて、上昇カーブと同じような軌跡を描いて人口は減少していくということである。
非常にノーマルな動きをするということである。
ピークの2005年から38年後の「2043年」に人口は1億人になり、遅くとも2050年にはまちがいなく、9千万人台の人口国家に日本は変身しているということになる。
もし、人口減少の動きが激しければ2040年には1億人になっている可能性がある。
そしてそれが、今から「30年後の日本」になる。
この30年間に、遅くとも35年間に「2500万人」の人口が消えていく。
つまり、人口の2割がいなくなるのである。
そして原発はすべて消えている。
代替エネルーの10%積み増しということでの単純比較なら、
原発廃止と人口減はチャラになっている
はずである。
さて、その世界はどうなっているだろうか。
『
実は人口が減っていくのは日本だけではない。
米国を除くと多くの先進国が今後、人口減少時代に入っていくとみられている。イ
タリアやロシアはすでに減り始めているし、ドイツやフランスも出生率が低下して、早晩、人口減少局面に入るのは確実だ。
また人口の減少は必ずしもマイナスではなく、プラス面も大きいという楽観論もある。
通勤ラッシュが緩和される、道路の渋滞が減少する、住宅面積が広くなる等々で、要するに今よりゆとりのある社会になるということだ。
欧米と比べて日本人が豊かな暮らしを満喫できないのは、狭い国土に密集して暮らすために、不動産など居住にまつわるコストが必要以上にかかり、余暇や遊興にお金を回しにくいことが一因だという主張もある。
人口が減ってエネルギー需要が減少すれば、環境面ではプラスに働くかもしれない。
人口3000万人以上の国では、日本の人口密度は世界第4位。
たしかにこの国は人が多すぎる。
』
ちなみに世界4位とはバングラデシュ、韓国、インドの次ということで、日本は先進国の中では驚異的な人口密度となっている。
なを、労働人口率の低下、つまり老人社会の誕生が大きく懸念されている。
この20年で、4人で作っていたものが3人でできるようになったという説がある。
故に、デフレになり、若年層がニートになってしまったという。
そして、多くの若者がマネーゲーム産業に進出し、モノを作らなくなってしまったという。
つまり、労働力などなくともモノは造れるということである。
それにこれからは、人力を使わない社会、の実現に向けての取り組みが本格化してくる可能性が大きい。
よって、これは心配しないでよい項目である。
労働力人口の多さが産業を支える、といった過去の経済学は忘れたほうがいい。
そんなものは唯物主義全盛のころのカビの生えた経済学である。
いまの経済学者、経済評論なるものは、このカビに生えた経済学にしがみついているにすぎない。
なぜなら、それしか教わっていないから。
つまるところ、言葉を変えて言えば「人海戦術経済学」が彼らの学問。
ちょっと冷静に現実を見ればわかること。
失われた20年とは就職難の時代。
ちまたに若者が溢れていた時代。
これだけ素晴らしい労働力が有り余っていたのだから、日本は飛躍的に発展していてもいいはずではないのか。
でも、そうはならなかった。
子どもからジッチャンバッチャンまで総出で働いていた時代があった。
つまり労働力人口が限りなく10割に近かった時代とは貧しい時代だったのである。
そのことを考えてみれば、答えは自ずと出てくる。
つまり、もはや人力的労働力は
豊かさの経済では基礎項目には入っていない
のである。
彼ら自身もそのことが分かってきて、こりゃマズイ、なんとかやりくりせにゃならないと思いはじめた。
そこでイージーに上から金メッキをかけた。
それが「エンジニアリング経済学」。
つまり人的労働力を外して、その代わりにリスクという概念を取り入れ、コンピュータで引っ掻き回したもの。
もし、「豊かさいっぱいの社会」を求めず、「フィットサイズの社会」で満足できるなら、
「飽食社会からスリム社会へ」という変換を受け入れることができるなら、
こんな項目、無視してもなんのさしさわりのないシロモノである。
ただ、それでメシを食っている連中が、大声で騒いでいるだけの項目。
ここ150年くらいの人口がいかに急激なものであったか、表がありましたので載せておきます。
これではシーソーの反対側が跳ね上がるわけだ、ということがなんとなくおわかりになると思います。
● 社会実情データ図録 より
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html
また、20年後に過去のウミアカを出し切り、日本は新しい革袋に新たな酒を詰めて
思ってもみなかった形で
復活してくると見ていますが、その時の人口は「1憶1500万人」。
これ、現在人口のちょうど9割に当たる。
団塊の世代はキレイに消えている。
ここから日本の新たな時代の躍進が始まる。
『
中央日報 2011.04.15 16:06:08
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=139186&servcode=100§code=140
【コラム】人口減少亡国論
「戦後が終わって災後が始まる」
東京大学の御厨貴教授の言葉が日本で話題になっている。
3月11日の東日本大地震後の危機意識と決起が交錯する。
3月11日が戦後高度成長型の政治・経済・文化に終止符を打ったというのが御厨教授の話だ。
同時に近代化の出発点である明治維新型の国土創造を提言した。
戦後の常識でなく異端の「災後政治」に対する注文だ(読売新聞寄稿)。
日本は新しい復興のモデルを作りだすのか。
政治の地殻変動は避けられない。
菅直人内閣の遅い対応が十字砲火を浴びている。
菅内閣の崩壊は時間の問題だ。
10日の地方選挙で民主党は惨敗した。
分権と和の政治が日本内閣制の要諦だ。
首相が閣僚罷免権を行使した例はほとんどない。
消防隊を送ろうとしても、自治体の首長との協議を経なければならない。
強力なリーダーシップ、迅速な意思決定が難しいシステムだ。 大連立の政治工学ではなく直選首相制が処方せんに浮かび上がるかもしれない。
日本国民の政治不信と自粛ムードは何を意味するのか。
国民の心理状態の変化は新しい体制をはらむ母胎だ。
経済はマイナス成長が問題ではない。
◯ 財政(赤字国債発行)・
◯ エネルギー需給(原発増設の中止と化石燃料の代替)・
◯ 環境問題(原発地域の空洞化と炭素排出の増加)
が足を引っ張っている。
悪循環だ。
長期沈滞の憂慮が出てくる。
さらに遠くに目を向ければ音のない危機がある。
◯ 人口問題だ。 少子化と高齢化だ。
3月11日の大地震は日本社会の高齢化を克明に表した。
年齢が確認された死亡者7935人(7日基準)の55%が65歳以上の高齢者だった。
日本は世界で初めて超高齢社会に入った国だ。
昨年基準で国民の平均年齢は45歳。 人口も減り始めた。
人口構成比はさらに大きな問題だ。
高齢者の比率が高まり、生産年齢人口が減っている。
50年前は10人以上の生産年齢人口が1人の高齢者を扶養した。
今では3人が1人の高齢者を扶養している。 2055年には1対1となる。
現役の減少は消費者・生産者・納税者の減少と同じだ。
高齢者は医療・福祉費を膨らませる。
国内総生産(GDP)を減らし、財政に圧力を加える国力衰退の人口構造だ。
若者が減れば社会も活力を失う。 第2次世界大戦敗戦直後(1947-49年)のベビーブーマー(団塊世代800万人)が戦後復興の牽引車だったのとは天地の差だ。
日本の危機意識の根底にはこういうものがあるのかもしれない。
日本は人口減少・高齢化の中で再建するのか。
世界は人口との戦争も見守っている。
韓国の人口問題も日本に劣らない。
昨年、女性1人が出産する子どもの数(合計特殊出生率)は1.15で、世界最低水準だ。
日本(1.37)よりも低い。 05年(1.08)に底を打ったが、その後も低空飛行を続けている。
2018年(4934万人)をピークに全体人口は減少傾向に転じる。
2050年には高齢者の比率が世界最高水準(38%)となる。
移民収容論や人口減少亡国論が出てきても十分でない統計だ。
にもかかわらず私たちの警戒心は薄い。
1990年代は「失われた10年」だった。
国民的キャンペーンがなかった。
人口問題を未来の問題として先延ばしにした。
そして福祉論争に巻き込まれた。
人口減少対策のない福祉政策は意味がない。
それは政治的な打算かもしれない。
大統領5年単任制の思考回路が作用しているのだ。
日本は1990年代に学界・政府が大騒ぎし、10年ぶりに合計特殊出生率の低下に歯止めがかかった。
私たちは使う言葉も「低出産」だ。
危機感がない。
対策も保健福祉部低出産高齢社会政策室長(1級)が関連部処対策を総括する。
人口の減少は財政・産業・教育・保育・雇用・国防・地方の総合対策を必要とする。
今からでも人口担当長官を新設し、官民が一緒に動き出さなければならない。
国の興亡盛衰が健康な人口構成比にかかる時代だ。 人口は国力だ。
』
== 東日本大震災 ==
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